モバイルファクトリーの日常をお届けします

「ユーザーに対してプラスの感情を与えたい」という思いは変わらない。/CEOインタビュー


 
「家族を守る力が欲しい」と強く願った
 
Q 代表挨拶にもありましたが、 10代の頃に辛いご経験をされていますよね。

その経験のおかげで今の自分があるわけだけど、当時はお金がなくて一家離散になってしまった。その時に「力を持たなければこの世は誰も助けてくれない。力とはお金だ。絶対に金持ちになってやろう」と思ったんだ。

「金持ちになりたい」という言葉だけだと金の亡者のような印象を受けますが、意味合いは違うんですね。

そうだね。何よりもお金が一番とは思わない。けど、お金の大切さは身に染みて感じた。その上で、金持ちになりたいと純粋に思ったのも事実。でも、モバイルファクトリーを創業して会社が軌道に乗り、実際にある程度のお金を手にしたとき、初めて気付いたんだ。「自分には物欲があんまり無いんだ」ってことに(笑)。そして、そのときにこのお金を自分以外の何に使おうか考えてみて、真っ先に思い浮かんだのが、社員だったんだ。世の中には何百万社って会社がある中で、モバイルファクトリーを選んでくれて一緒に働いてくれている社員を幸せにしたい、そう思ったんだ。それがモバイルファクトリーの大切にする 4つの価値観のうちの1つである「社員は財産である」の原点となるエピソードだよ。

Q. パソコンをお持ちだったんですか?

実家が事業に失敗する前は、家にパソコンがあったんだよ。当時はMS-DOSとかPC-6001mkⅡとかだったけどね。大学生時代はそんな余裕がなかったけど、ソフトバンクに内定をもらったら、内定者一人ひとりにパソコンを支給してくれて。太っ腹だなーと思ったよ(笑)。

Q.当時は具体的にやりたいことはあったんですか?

「この日本でお金持ちになるってどんな道があるんだろう」と考え結果が、起業家だった。当時、ソフトバンクの孫さん、エイチ・アイ・エスの澤田さん、パソナの南部さんの3人がベンチャー三銃士と呼ばれていて、彼らに影響を受けて「自分も起業家になりたい」って思った。その中でも、パソコンが好きだったこともあって「ソフトバンクで孫さんのもとで働きたい!」と強く思ったんだ。

仕組み作りと頭に汗をかくこと
Q.ソフトバンクに入社してからはどういったお仕事をされていたんですか?

パソコンのソフトウェアや周辺機器のルートセールスを担当してた。クライアントに会う回数を増やせば売上も上がるから、人の2倍回れば1.5倍くらいの売上が上がる計算になるわけ。当時はハングリーさの塊だったから、そうやって誰よりも足で稼ごうと思って頑張った。そうやっているうちにトップ営業になって、2年間くらいはトップでいられたかな。

Q.短い期間でトップ営業になれたのはなぜだと思いますか?

担当したアカウントが良かった(笑)。あと、2年目に就いた上司が素晴らしかった。その方は今では某ネット銀行の社長をされている方で、当時天狗になっていた自分の鼻をへし折ってくれて。入社1年目の時はまだトップになっていなかったんだけど、業績の調子が良かったからちょっといい気になっていてね。で、その上司に言われたのが「お前のやっていることは仕事じゃない。」「体に汗をかかずに頭に汗をかけ。」「お前が担当を変わっても今お前が売り上げている売上の10倍儲かる仕組みを作れ。」と言われてね。当時は毎日が辛くて、「いつ辞めようか」と考えてた。でも、上司を信じてなんとか喰らいついていったら成績が抜群についてきた。その方に就いていた1年間でビジネスマンとして相当磨かれたなと思うよ。

Q.ソフトバンク時代の経験で今にもつながっていることはありますか?

「仕組みを作る」ことと、「頭に汗をかく」ことは今の自分の基礎になっていると思う。ソフトバンクは日次決算をやっていて、誰が、いつ、いくら売り上げたのかというのが毎日わかるようになっていた。それを経験して、短い期間でP/Lが分かる仕組みは組織・経営として強いなと肌で感じていた。だから、自分で起業したときにはその仕組みを早い段階で作ろうと思ったね。事業や組織形態、商材が異なるから個人ベースで売上を管理するということは現実的には難しいんだけど、ある程度最小単位で経緯的に売上を管理できる体制になっていて、それは今のモバイルファクトリーの強みの一つになっていると思ってるよ。

サイバーエージェント12番目の社員
Q.その後サイバーエージェントに入社されるわけですが。

ソフトバンクには5年間いたんだけど、4年目くらいの時に商材の販促部署に移ったんだ。 営業として「仕組みを作る」ということはやってきていたから、新しい仕事は当時の自分にとっては簡単な仕事で、自分の時間も確保できるようになっていた。それで、起業しようと思って、同期2人を誘ってビジネスモデルをあたためていたんだよね。ブレストしたり、企画書を出して検討会をしたりして。で、1年経って「これならいける!」となったのが オプトインメールだった。けど、「これで起業しよう!」という段階で、一緒に誘っていた2人が独立に対して二の足を踏んでしまって。「じゃあ1人でやろう」と心を決めたものの、オプトインメールのビジネスモデルは広告モデルだから、どうやって売ればいいんだろう、どこからクライアントを取ってこればいいんだろうというところがボトルネックになってしまって。それで、当時サイバーエージェントに入社していた友人に相談したら「これいいね!売れるよ!」と言われて、藤田さんに会うことになった。で、結局サイバーエージェントの12番目の社員として入社することになったんだ。

Q.サイバーエージェントで学んだことは何でしたか?

ビジネスにはタイミングが非常に重要だということかな。どういう商材をどういうタイミングで出せばよいのかということが会社の成長にとって非常に大きな要因になると。単なる広告代理店だったサイバーエージェントが自社で商品を持つようになる成長過程を社員として経験することができて。業績は当時赤字だったけど、あのタイミング、勢いの中でなければその商品自体が顧客を獲得することは難しかっただろうと思っていて。その時流やタイミングを押さえることはビジネスとして非常に重要であるということを学んだよ。

Q.自分の「分身」とも言えるビジネスモデルを、他人の会社で立ち上げることに葛藤はなかったのですか?

もちろんあったよ。当時、貯金が1000万円くらい貯まっていたかな。だから、起業しても良かったんだけど、冷静に考えてみると商品を売るパワーがないということに気づいて。売るパワーがないとメディアは成り立たないし、広告業界のこともよく知らなかったから、まずはそのイロハを学ぼうと思って。当時のサイバーエージェントは会社として急激に拡大する過渡期にいて、その当時のサイバーエージェントに入社することにはメリットがあると思ったし。

Q.実際にサイバーエージェントに入社してみて、これまでと違うと感じたことは何でしたか?

長時間労働(笑)!当時のサイバーエージェントは20代前半の若者の集まりで、自分は当時28歳だったんだけど、一番年上だったんじゃないかなぁ。ソフトバンク時代も猛烈に働いていたと思っていたんだけど、その比ではなかった。組織もルールも役割もまだ出来上がっていなくて、でも勢いはもの凄くあって。自分も商品設計も仕入れも営業も全部やっていて、これはカオスだなと思いながら仕事してたよ。当時は圧倒的に若いチームのノリについていくことに精一杯で。会社に週の半分くらいは泊まっていたかなー。会社にシャワーもあったから、着替えや下着を会社に持ってきて週に1回しか家に帰らない、という人も結構いてね。自分自身も過労で入院して2週間くらい戦線離脱しちゃったりして。余談だけど、その時の経験や感じた思いは経営者になった今、モバイルファクトリーの制度や福利厚生に生かせていると思ってるよ。

モバイルファクトリー創業
Q.サイバーエージェントで自分が立ち上げたビジネスが他社に売却されることになりますが、そのときの気持ちはいかがでしたか?

正直なところ、「えっ?」って思ったよ。売上も月に1億円くらいはあったからね。当時の選択肢は3つで、事業売却先に行くか、サイバーエージェントに戻って新規事業をやるか、起業するか。悩んだけど、当時30歳になっていたっていう要因が大きくて。改めて30歳になったとき、19歳のときを思い出せと。起業するって言っていたじゃないかって思ったんだ。

Q.1年以上も無給という状態で、どうして頑張れたんですか?

え、だって、別に貯金あったし(笑)。起業するってそういうことでしょ。

Q.着メロASPビジネスから始まって、これまで様々なビジネスに取り組んでこられていますが。

今のモバイルコンテンツ事業は、起業当初の着メロASPサービスをブラッシュアップしてきたものだね。お客様のニーズに応えてサイトのOEM供給とかしているうちに、自社でサイトを運用するようになった。その売上と利益が安定して出せるようになったので、Wassrとか、次のビジネスにチャレンジしてきた感じかな。今のソーシャルアプリ事業もそうだね。 

Q.最初のビジネスアイディアはどうやって出てきたんですか?

モバイルファクトリーの最初のビジネスは着メロのASPだったんだけど、オプトインメールのモバイル版を作っていたときにアイディアを発見して。メール会員を集めるのにインセンティブの設計が必要で、いろいろ調べた結果、着メロが有効だなということが分かって。着メロをつけると会員登録のコンバージョンがあがるっていう事例がいっぱいあったので。で、着メロのASPを借りられる会社をいろいろあたってみたんだけど、1曲5000円とかで「なんだこりゃ」って(笑)。それで、着メロを安価で貸すビジネスが成り立つんじゃないかと思ったんだよね。広告も設計も分かっていたからオプトインメールを立ち上げることもできたんだけど、そうすると古巣とライバルになってしまうことになる。それは良くないと思ったので、「古巣に買ってもらえるサービスを作ろう」って思ったんだ。

Q.起業した当初はうまくいかなかったということですが…?

1年間くらいは誰も買ってくれなくて(笑)。これまで自分が営業として成績を上げられていたのは会社の看板や商材の力であって、営業力ではなかったんだなって痛感したよ。あまりはっきり覚えてないけど、たぶん15ヶ月くらい自分に給料は払っていなかったと思う。起業して約半年後にエンジニアが入社してくれたんだけど、その社員には絶対に払っていたけど。

一瞬で輝いて散るよりも長く続く企業でありたい
Q.ソーシャルアプリに参入しようと思ったのはなぜだったのですか?

2009年頃にmixiやモバゲープラットフォームがオープン化したり、Zyngaがfacebook上で何億人というユーザーを集めたりしていて、「これはスゴイことになるぞ!」ってワクワクしたんだ。モバイルファクトリーの「世界の人々をハッピーに」というMissionにも繋がる事業だと思ったし。 当時からソーシャルゲーム市場はレッドオーシャン化すると言われていたけど、モバイルコンテンツ事業が磐石だったから経営的に全く心配はなかった。

Q.ネット業界の経営者の中には大きくリスクとって増資をしたり人員を急速に増やすといったことをされている方もいらっしゃると思うのですが。

「破産」「倒産」がどれだけ大変なことかを実際に経験しているから、その悲惨な事態を起こさないようにするために経営者として「リスク」と「チャレンジ」を分けて考えることは意識している。

リスクに大きくチャレンジできるのは、率直にすごい勇気だなと思うよ。リスクを大きくとることがネット業界における「スピード感」と考える人がいることも知っている。けど、自分自身、ネット業界の中で12年経営者としてやってきて、多くの経営者や企業が消えていくのをたくさん見てきた。派手にマスコミに登場した人、派手に増資した人…。一時的には輝くんだけど、長く生き残っている経営者や企業ってそんなに多くなくて。チャレンジして、独立して、その後サラリーマンにまた戻った人もたくさんいて。そうやって業界のいろんな人や企業を見てきて、「やり続ける」の難しさを自分は知っている。だから、会社を倒産させてしまう可能性があるリスクは極力取らないようにしている。

サービスを通じてユーザーにプラスの感情を
Q.モバイルファクトリーの目指す方向性について教えてください。

自分たちが提供するサービスで多くの人のプラスの感情を動かせるような存在になりたい。そういうサービスを提供できることが、ユーザーにとっても、そのサービスを作っている社員にとっても幸せをもたらすことなのかなぁと思う。そのためには社員自身が社内ではなく、ユーザーの方を見て仕事できるような環境を作ることが経営者として必要なことかなと思ってる。健全な黒字を出し続けることもだし、働き方もだし、社員に仕事を任せることもそうだし。

Q.新規サービスの立ち上げなど、社員を信頼して自由に任せている部分が多いように思いますが、それはどういった思いからなのですか?

あ、それは社員に任せるほうがうまくいくと思っているから。任せている社員はその道のプロな訳で、それで任せて失敗したら仕方ないよね。社長って、最高の人材を揃えて、その人が活躍してもらえる環境を整えるのが仕事でしょ。失敗しても会社が倒産しないようにするのが自分の役割だから。

 
Q.社員の働く環境に対する取り組みも同じ思いからですか?

仕事では、社会に対して価値があるものを自分が担っているという実感、会社から一歩出ればそれ以外の自分の役割を担っているっていうバランスが取れる会社にしたくて。ゲーム会社によくありがちな「毎日終電休みもほぼ無し」みたいな状況は不健全だと思うから。自分自身、起業する前の会社では相当長時間労働をしていて、「これは長く続けられないな」と感じたし、この状況でハッピーになれる社員とそうでない社員とで相当差がついてしまうなって思ったしね。

Q.今後モバイルファクトリーをどんな会社にしていきたいですか。

コンテンツを提供するメディアや伝える方法は何でも良いと思うんだ。だけど、「ユーザーに対してプラスの感情を与えたい」という思いは変わらない。今は、「ストーリーを通じたプラスの感情」を提供するためにゲームというメディアを使っている訳だけれども。テクノロジーの進歩も早いし、マーケットの状況もあっという間に変化するし。その時々に合わせて「方法」は選べばよい訳で、とにかく、サービスを通じて「プラスの感情」を感じてもらいたい。とにかくそこだけには拘っていきたいかな。