2015年3月にマザーズ上場を果たしたモバイルファクトリー。ソーシャルアプリ事業・モバイルコンテンツ事業を軸に今もなお成長を続けています。しかし、今日に至るまでに多くの苦労がありました。2017年現在、取締役を務める深井未来生、宮井秀卓のふたりのストーリーを軸に、会社の軌跡をお伝えします。
最初の上場失敗は「仕方がなかった」
「モバイルのサービスを生み出す工場になりたい」という社名の通り、着信メロディカードサービス「メロプレ」を皮切りに、モバイルアフィリエイト広告「ケータイ☆アフィリエイト」、クチコミプロモーションサービス「BloMotion(ブロモーション)」など数々のモバイルサービスをリリース。
立ち上げ当初は思うように業績が伸びなかったものの、時代の変化に合わせるように業績も上向きになっていきます。そして、立ち上げから5年後の2006年、モバイルファクトリーは初となる株式上場に挑戦することに……。
業績は好調。社員の誰もが上場できるものと思っていましたが、結果は失敗に終わります。当時世間を騒がせたライブドア・ショックの影響などもあり、上場への挑戦を断念せざるを得ない状況になってしまったのです。現取締役(事業担当)の宮井秀卓が経理担当として当社にジョインしたのは、まさにこの直後でした。
宮井「当時は社員が40人くらいで、アットホームな雰囲気でした。上場に失敗してしまったのですが、外的要因だったこともあって大きく落ち込むというより、次のチャンスを、という感じでしたね」
上場こそ逃しますが、業績は好調。会社としてのダメージも少なく済んだこともあり、主幹事を変更し、再び上場に挑戦する道を歩みはじることになります。
業績悪化に伴う2度目の失敗……組織は崩壊寸前の危機に
深井「社内には、今度こそIPOを目指すぞという雰囲気が漂っていて、すでに監査役がいました。私は上場していた会社から転職してきたのですが、『随分早くから上場の準備を進めているな』という印象を持ちましたね」
モバイルファクトリーに転職後、深井が担当したのは経営企画室長。当時、宮井も経営企画室にいたこともあり、ふたりで上場への準備を進めていくことになります。スケジュールを設定し、やるべき業務を棚卸しようとしていたそのとき、世界中を震撼させる事件が起きるのです。
そう、リーマンショックです。
当時、当社はクレジットカード会社など金融案件を多く抱えていたこと、そして広告業界全体の低迷にともなう広告出稿の激変もあり、急激に業績が悪化……。二度目の上場への挑戦も、あえなく失敗に終わってしまいます。
そんな出来事に拍車をかけるかのように、当時の取締役3名が同じタイミングでモバイルファクトリーを去ることに。2年前、“アットホーム”だった組織が一転、崩壊の危機に直面します。
そこから、経営企画室長だった深井は管理担当の取締役へ、宮井は経営企画室長へとそれぞれ立場を変え、株式会社オプト(現:株式会社オプトホールディング)との資本・業務提携を契機に組織の立て直しに着手していくことになるのです。
創業以来初の単月赤字、ドン底の状況に光を照らしたソーシャルアプリ事業
宮井「当初はライトなゲームアプリが多く、私たちもいくつかリリースをしてみたんです。そしたらトラフィック量がすごいことになって。人が一気に集まって、サーバーが落ちるくらいの勢いで。そこに可能性を感じてソーシャルアプリ事業にチャレンジすることになりました」
それから、会社にとって、そして宮井自身にとっても、苦しい日々がはじまります。他社と共同でゲームをリリースしたり、また自社でもRPGや街づくり、スポーツなどさまざまなジャンルのゲームをリリースしたり……。しかし、なかなかヒットタイトルに恵まれることはありませんでした。
深井「当時の社員から、『うちは、ゲーム会社になるんですか?』と何度も聞かれましたね。ゲームのプロなんて誰ひとりもいないのに、ゲームに注力しているように見えたのが不安だったんでしょうね。社員の声も徐々に辛辣なものになって、経営陣批判が公然と起こるようになってしまって……。社員に負担をかけていることに対しても申し訳なかったですし、へこんでいる社長の姿を見るのもツラかったですね」
ソーシャルアプリ事業の開始から2年間苦しんだ時期が続き、赤字に転落……。これまで当たり前のようにあった福利厚生はなくなり、“数字を作ること”が会社にとっての至上命題となります。「IPOどころじゃない。数字を作らなきゃ」ということで、宮井は事業担当に転身することに。
宮井「赤字や福利厚生の撤廃は、宮嶌にとって大きなダメージだったみたいで……。自分自身、管理側にいたときは直接的に数字を作るのに関われないもどかしさもあったので、事業側で数字を残すことができたら、再度IPOのチャンスが来るかもしれない。これがラストチャンスだ。そう思っていました」
しかしこの頃から、徐々に風向きが変わっていきます。これまでなかなかヒットしなかったソーシャルアプリ事業に、ついに日の目が当たりはじめるのです。それは、ゲームに参入する前から事業を支えてくれていた、当時のメンバーの踏ん張りのおかげでした。
現在のモバイルファクトリーの主軸サービスである「位置ゲーム」は、トップダウンではなく、ボトムアップでリリースされたタイトルです。そのことからもわかるように、「タイトルがヒットするためには “作り手の情熱”も重要な要素だった」と宮井は振り返っています。
その後、ソーシャルアプリ事業、モバイルコンテンツ事業の両方が軌道に乗り、その成果が買われて、宮井は事業担当の取締役に就任。
そしてついに、3度目の挑戦で上場審査を通過——。2015年3月、モバイルファクトリーは東証マザーズ上場を果たすことになります。
次なるステージは、社員が誇りを持って働ける会社
深井「今の会社は100人規模で上場したばかり。まだまだ伸ばせる余地がたくさんあると思います。社員にとっても、あまり他の会社では得られない経験や興奮を味わってもらえるはず。自主性を持って動いた結果、『モバイルファクトリーにいて良かった』と思える。そんな会社にしたいですね」
宮井「今後の私の役割は、社員みんなが幸せになれる会社をつくることだと思っています。そのためには、きちんと裁量持ってチャレンジができて、結果を残せる会社でなければいけない。そうすることで社員はもちろんのこと、自分も居続けたいと思える、安心して居続けられる会社になると思うんです」
一時は崩壊寸前まで追い込まれた組織。しかし今は、深井と宮井、一番辛い時期を代表である宮嶌と共に歩んでくれた取締役がいます。そんなふたりは、社員に対して「社長の想いをもっと知ってほしい」と感じています。
宮井「意外かもしれないけど、社内結婚とかめちゃくちゃ喜んでくれるんですよね。実は私も社内結婚なんですけど(笑)。そのときも『怒られるかな』と思って報告したんですけど、それどころか喜んでくれて。それ以外でも、社員の結婚や出産は、すごく嬉しそうにしてますね」
深井「それなのに、結婚式のスピーチとか断っちゃうから、社員に伝わりづらいんですよね(笑)シャイというか、繊細というか……。でも実際は、会社にいる時間だけでなく、オフの時間も含めて一人ひとりの社員のことを見ようとしてますね。繊細だからこそ、かもしれません」
代表取締役、そしてふたりの取締役の間にできあがった“いい感じ”のトライアングル。これからも3人は力を合わせて、社員が誇りを持って働ける会社を作るために、挑戦を続けていきます。